48神学

Give me 大方の御批判と御教示。

残酷ショーの夏が終わりました。

高校生の野球大会を見るとき、わたしは思う。
「自分にも、こんな青春があったらよかった」と。

ほんとうのことを言うと、甲子園の高校生野球大会を見たことがないのでよくわからないのだが、高校生の野球が好きな人の口ぶり、目つきを見ていればだいたいわかる。「自分にも、こんな青春があったらよかった」と、高校生野球のファンは思っている。もっとダイレクトに、「自分も高校球児になりたかった」と思うこともある。暑さで頭がぼうっとしているときなど、「俺は、俺は高校球児になりたい!!」と思うことさえある。もう40歳なのに。類推ではあるが、きっとそうだろうと私にはわかる。

 

類推というのは、ヲタクも、アイドルを見ながらしばしば思うからだ。「自分にも、こんな青春があったらよかった」と。

仲間と支え合うこと、同時に競い合うこと、全力でなにかに打ち込むこと、その姿がキラキラと輝き、見る者を魅了すること、汗や涙、鼻汁や胃液までもが宝石にたとえられること……なんと祝福された青春であろうか。それにくらべて、自分の10代から20代にかけてのあの時間はなんだったのか。あれも青春と呼ぶのだろうか。字面で表現すると、「青春」というよりは「疊毟」みたいな感じだった。

アイドルを見て、「自分にも、こんな青春があったらよかった」とヲタクは思う。もっとダイレクトに、「自分もAKBになりたかった」と思うこともある。暑さでぼうっとしているときなど、「俺は、俺はAKBになりたい!!」と思うことさえある。劇場公演に入った後などに、たまにある。もう40歳の男だというのに。

高校生野球大会も、48Gも、たしかに残酷ショーである。私たちは、もとい、私は残酷ショーが好きだ。

残酷ショーの観客は、観客として楽しみながら、同時に、観客席にいるだけではどうしても満たされない欲望に気づいている。自分もこの残酷ショーに参加したい、という欲望である。「俺は、俺は高校球児になりたい!!」のであり、「俺は、俺はAKBになりたい!!」のだ。
闘技場で奴隷とライオンの戦いを見ていた市民たちは、「自分も奴隷になりたい」と思っただろうか。『カイジ』で鉄骨渡りを見物していたエスタブリッシュメントたちは、鉄骨を渡りたかったのだろうか。