48神学

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「ただの◯◯」との戦い―『K-POP 新感覚のメディア』を読んだ

「K-POPのアイドルって、ただの児童虐待じゃない?」

 九年ほど前、日本の親しい友人とこのように話したことがある。

金成玟『K-POP 新感覚のメディア』(岩波新書)、以下同

 

金成玟先生はソウル大学作曲科の出身である。子どものころから音楽家を目指し、数時間のピアノ練習が日課であった。練習をサボると怒られるので、手ではピアノを弾きながらこっそりマンガを読んでいたこともあったという。

そんな経験をふまえて、金先生は言う。児童虐待という表現は「今でもそれが完全に間違った話だとは思わない。そもそもミュージシャンがスキルを身につけていく過程には、いくらか虐待的なところがあるのだから」。

韓国のアイドルは、デビュー前の数年間、練習生として徹底的なトレーニングを受ける。歌やダンスはもちろん、演技や外国語まで含む過酷なカリキュラムである。

とはいえ、金先生の心に今でもひっかかっているのは、「ただの」という表現だ。

 

10代以降以降ずっと韓国のポピュラー音楽を身近に感じていた者として、それが「ただの」と言い切ってしまえるほど単純なものではないということを、自分が感覚的にわかっているからだろう。

 

詳しくない人は、持っている情報が少ないからこそ、簡単にまとめて「ただの◯◯」と言える。

興味がない人は、その件に「ただの◯◯」というレッテルを貼って、とっとと脳のどこかに整理してしまいたい。

もちろん、悪意をもって「ただの◯◯」という表現を使い、ネガティブな面を強調したい人もいる。

 

「ただの○○」を無視できないのは、それがたいていの場合、「完全に間違った話ではない」からだ。まったくの言いがかり、明らかに事実に反することなら、事実を突きつけて反論することは比較的容易だ。

間違ってはいないけど、そんなに簡単ではない、という話に反論するためには、たくさんの言葉が必要である。

しかも、たくさんの言葉を並べたところで、「ただの○○」と言い放った当人、「ただの◯◯」だと聞いて納得してしまった人々がきちんと耳を傾けてくれる保証もない。

ここに「ただの○○」のたちの悪さがある。

ぼくも、「ただの○○」とさんざん言われてきた・言われているグループ(AKB48グループといいます)を応援しているので金先生の気持ちがよくわかります。

 

そこで、「ただの○○」という低コストで効果的な攻撃に対応すべく、こちらも同様の論法を用いるというのはどうだろうか。

たとえば、「あの手の批判は、ただのやっかみだ」「ただの私怨だ」「ただ叩きたいだけの連中の言うことだから」というように。もっと省エネを徹底し、「外野(何もわかってないやつ)の言うことは、無視」を決め込むやり方もある。

人生は有限なので、こうした省エネも間違いなく必要である。

だがしかし、省エネにとどまっている限り、「ただの」ではすまされたくない複雑な部分を外部に理解してもらうことはできない。放っておいたら、あまりにも単純化された、あまりにも一面的な「ただの◯◯」が社会通念になってしまうかもしれない。

 

ここで私は、「ただの」とは程遠い複雑なK-POPの世界を、その内部と外部をつなぐいろいろな感覚、大きな物語と小さな物語が混ざりあったさまざまな欲望をつうじて考えようとした。

 

本一冊分の言葉によって、「ただの」に対抗する。これが金先生のとった方法である。

 

言葉を尽くして「ただの◯◯」に対抗するという戦いは、守る側が圧倒的に不利である。攻撃側は無知、無関心、不勉強をも武器にできるのに対し、こちらは情報収集の範囲を広げ、言葉の技術を鍛え、複雑な細部を言語化するために時間と手間をかけなくてはいけないのだから。

 

この絶対的不利を埋め合わせるものは、唐突で大変恐縮ですが、愛です!

愛というのが嘘くさければ、渇望だ。世間が「あんなもん、ただの○○だろ」と切り捨てるものでも、それなしでは生きられないという絶対的なNEEDSだ。

票の数は愛だが、言葉の数も愛なのである。本を書くような仕事をしている人でなくても、職場の飲み会でだって言葉は使います。

 

好きなもののために言葉を尽くすなんていう面倒なことはしたくない人でも、「ただの○○」という切り捨て方を自分はしない、という選択はできる。

よく知らない何かが他人にとって愛の対象なら、雑なことを言うよりはいったん沈黙してその人の話を聞いてみるほうがよい。

 

最後になりますが、『K-POP 新感覚のメディア』はこんな本です。以下カバーの紹介文より。

 

BTS、TWICE、EXO……日韓関係の悪化とともに韓流ブームは去ったと思っていたら、いつの間にか若者たちK-POPに夢中になっていた。日本のみならず世界をも魅了するK-POPの魅力とは何なのか。グローバルなトレンドとポップな欲望が交錯するソーシャルメディア時代の音楽空間を解き明かす。

 

2011年末の紅白歌合戦にはK-POPのグループが3組出場した。その後は2017年のTWICEまで、K-POPミュージシャンは出場していない。ちなみに2012年は前田敦子が卒業した年であり、『オックスフォード英語辞典』に「K-POP」の項目が立てられたのもこの年だという。

あっちゃんが卒業した後の6年間、ぼくはあっという間だったと感じるけどみなさんはどうですか。その間にあちらの世界では何が起きていたのか。スゲーことが起きていたのである。PRODUCE48でK-POPに興味が湧いた方にも、PRODUCE48への参加には納得してねえぞという方にもおすすめします。

 

 

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)