48神学

Give me 大方の御批判と御教示。

ぼくたちの好きな投票

時節柄、今日は総選挙の話をします。

 

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2005年12月8日の『日刊スポーツ』より。

この記事を見て、「あーやっぱり48Gは最初から投票だったんだなあ」で済めばいいのだが、そうも行かないという話である。

劇場オープンより四ヶ月前、7月末に発売された雑誌の連載コラムで、やすす秋元康は「秋葉原48シアター構想」について書いている。

 

 劇場兼カフェには、一軍二十四人、二軍二十四人のアイドル予備軍がいて、ウェイトレスをしながら客の人気を獲得し、ステージの主役を射止めるのである(全員が、ウェイトレスをするわけではない)。

「秋元康のヒットの予感」『WiLL』2005年9月号、ワック・マガジンズ

 "萌系"のファンが、自分の贔屓の女の子を応援してスターに仕上げていく、アイドル育成シミュレーションゲームのリアル版だ。

同上

 

「"萌系"のファン」というあたりに時代を感じますね。

このコラムは、やすすのAKB48についての発言としては最初期のものの一つである*1。どういうわけだかAKB48公式ブログに全文が転載されているので、興味のある方はどうぞ(リンク)。

このコラムで、やすすは一軍二軍制度と言っているだけで、投票があるとは言っていない。その後、12月に劇場がオープンするときには、「ファン投票」による一軍二軍の入れ替え制が実施されることになっていた。

……のだが、この制度は結局実行されなかったのである*2。翌年の2月に2期生17名を採用したAKB48は、一軍と二軍の入れ替え制ではなく、チームAとチームKの2チーム制による公演をはじめたのはご存知の通り。

 

人気投票を越えて―真のネットアイドルAKB48

初期のAKB48には、劇場のロビーでファンとやすすらスタッフが対話し、ファン発のアイデアが運営に取り入れられていくという、濃密な作り手と受け手の双方向関係ができた(過去記事参照)。

「アイドル育成シミュレーションゲームのリアル版」にファンが参加する手段として、当初考えられていたのは人気投票だった。ふたをあけてみると、投票制度に頼らなくても意思表示ができ、アイドル育成に参加できるヲタクがそこにはいたのである。

 

僕はパッケージを作っただけで、発火させたのはメンバーと劇場に来てくださるお客さんです。アイドルオタクは暗いなんていうけど、僕からみたら、アンテナが立っていて、情報発信力もある。なにより行動的だと思いますよ」

「秋元康さんがプロデュースするアキバ発アイドル「AKB48」!」『Hanako』2006年11月23日号

 

情報発信力と行動力に優れたヲタクとの出会いを経て、やすすは参加型アイドルとしてのAKB48の特色、強みをつかんでいく。

 

――少し前はモー娘。やグラビアアイドルが盛り上がってましたけど、ちょうど今、女の子アイドル界がトレンド的に無風状態で。そういうタイミングは意識されましたか?

「いやぜんぜん。グラビアアイドルとかぜんぜん知らないし。アイドル界全体のこととかまったく意識してないね。唯一ちょっと考えてたのが……。ネットアイドルって、いろんなところがやっては失敗していたんだけど。だいたい人気投票をやってそれの1位のコがデビューできる、みたいな。それってぜんぜんインターネット的じゃないんだよね。一方向的で、テレビの発想とぜんぜん変わらない。受け手側の意見は量でしか還元されてない。そうじゃなくて、彼ら(引用者注:AKB48のファン)は双方向で好き勝手にやりとりしていて、その状況の中から生まれるアイドルがいるとしたら、それがネットアイドルだと思ったんだよね」

「総合プロデューサー 秋元康インタビュー」『48現象』ワニブックス、2007年

 

ファンが投票し、その結果に運営がしたがうことにすれば、とりあえず「ファン参加型ですよ」とかっこうはつく。投票とはそういう安直な手段だとも言えるが、ファン参加というめんどうなことを可能にするには他に手段がないことも多い。

ところが、AKB48では、投票に頼らなくても運営・やすすとヲタクとのコミュニケーションが成立してしまった。だから、もう投票は不要になったのだ。

と、いうわけにはいかなかった。

 

 48Gにとって投票とは何か

 

 おニャン子との一番の違いは、「一方通行か双方向か」という点。当時おニャン子で作られたユニットは、テレビ局やレコード会社など"おとなの事情"でした。でもAKB48は、我々が「こういうことをします」とアナウンスすると、ファン同士がすごい勢いでブログや2ちゃんねるで盛り上がる。そこから面白い意見を吸い上げて、反映させていくわけです。例えばスタッフから「みんなが秋元さんが選ぶ"選抜"に不満だらけですよ」と聞くと、「じゃあ"総選挙"だ!」という具合に。劇場のオープン当時は、ロビーで僕が直接ファンの感想や意見を聞いていました。本当の意味で"インタラクティブ"に作っていたんですね。

『日経エンタテインメント』2010年10月号

 

秋元:人数が多いものですから、CDのジャケットやテレビ番組に全員を出せないんですよ。そのメンバーを、プロデューサーであるぼくがピックアップしていたんですけど、ファンの皆さんからのブーイングがすごくて。

山田:"なんで、あの子を入れないのか!"って?(笑い)

秋元:そういうのがあって(笑い)、じゃあ、年に1度、オールスター戦みたいに皆さんの投票で決めよう!と。

山田美保子「山田eyeモード」『女性セブン』2010年5月13・20日合併号 

 

前田敦子をセンターにすると決めた頃、劇場のロビーに座ってファンに話を聞いたんですが、毎回「秋元さん、なぜ前田敦子なんですか」「なんであの子は入らないんですか」とすごく言われました。じゃあオールスター夢の球宴みたいな人気投票をやろうと。 

秋元康×田原総一朗『AKBの戦略!』アスコム、2013年

 

投票という「受け手側の意見は量でしか還元されてない」やり方ではなく、「ロビーに座ってファンに話を聞」くという、「本当の意味で"インタラクティブ"」なシステム。

やすすはヲタクの声に耳を傾け続けた。そして、ヲタクの声に応えようとした。

その結果、捨てたはずの投票制が蘇ってしまった。それが「総選挙」だったのである。

 

今までテレビとともに歩んできたんで、今度は真逆のことをやってみようと。

「総合プロデューサー 秋元康インタビュー」『48現象』ワニブックス、2007年

 

やすすがAKB48をはじめたのは、「テレビとは真逆のことをやりたい」と思ったからである。

投票によってメンバーの序列を決めることは、テレビ的な方法である。そこには受け手の意見は量でしか反映されておらず、視聴率や得票数といった「量」を持っている演者が高く評価されるシステムだからだ。

「テレビとは真逆のことをやろう」という、やすすの初志からすれば、投票制の導入は妥協であり、反動である*3

では、「総選挙」をはじめたこと、今も続けていることは間違いなのか。

紅白への出演や雑誌グラビアへの起用、その他もろもろのなんちゃら選抜……と、メンバーへの仕事配分の何割かがヲタクの投票によって決められているのは間違っているのか。

そうは言えないからめんどうなのである。

「アイドルオタクは暗いなんていうけど、僕からみたら、アンテナが立っていて、情報発信力もある。なにより行動的だと思いますよ」とやすすは言う。

たしかに、クリエイティブで存在感と影響力のあるエリートヲタクには、投票制度など必要ないかもしれない。

だが、暗くて、アンテナが立っていなくて、情報発信力もなくて、行動的でもないヲタクはどうか。

彼ら静かなる多数派は、「総選挙」によってはじめて意思表示の機会を得たのではなかったか。

投票によって、48Gは反動化するとともに民主化したのである、と私は思う。

「国民的アイドル」が民主的なのは結構なことである。じゃあ「総選挙」に「YES」でいいのか?と問われると、よくわからない。

(以上敬称略)

 

 

 

 

*1:というか、筆者はこれより古いものを見つけられていないので、ご存知の方は御教示ください。

*2:週刊プレイボーイ編集部・編『AKB48ヒストリー研究生公式教本』(集英社、2011年)には、《創成期、劇場には人気投票のための機械が置かれていたことも》との記述があるので、投票自体は行われたらしい。この投票は、カフェ店員だった篠田麻里子のメンバー抜擢に影響していたのだろうか。ここらへんも、古参ヲタの方の御教示を乞いたいところです。

*3:「年に1度」「オールスター戦」という言葉に、「あくまで例外として許容するにとどめたい」という気持ちが現れているようにも思える。