48神学

Give me 大方の御批判と御教示。

「天皇公選制」としての選抜総選挙

「アイドルとは何か。

 その答えは、日本国憲法に書いてある。」

アイドル評論の第一人者、中森明夫は『アイドルにっぽん』の「序章「アイドルにっぽん」宣言」をこう書き出している。

「第一章、第一条――。
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

 今、私はこの「象徴」を「アイドル」と読み換えてみたい。
 天皇は、日本国のアイドルである。
 つまり我が国は、天皇をアイドルとする芸能国家なのだ、と。逆に天皇を「アイドル」と読み換えたらどうなるか。その際、日本国民は「ファン」と読み換えられるだろう。
 アイドルとは、ファンの統合の象徴であって、その地位は、ファンの総意に基く。そう、主権はあくまでファンの側に存在するのだ。」

中森は、ファンの総意のもとづくアイドルを、国民の総意にもとづく象徴天皇になぞらえている。

とはいえ、ファン(国民)は、アイドル(天皇)が選ばれる過程に参加することはできない。

アイドルを選び、売り出すのは少数のプロたちである。

48グループも例外ではなく、どのメンバーが推されるか、誰が次のエースに、センターに選ばれるかは「運営」なるブラックボックスの中で決められる。

しかし、48Gにはひとつの例外があった。

言うまでもなく、選抜総選挙である。

次のシングルのセンターを、選抜メンバーを、ファンが投票によって決められる機会が、1年に1度だけとはいえ、ある。

そして、1年に1度だけとはいいながら、選抜総選挙の結果は運営の「誰を推すか」の判断にその後も影響を与える。

あらためてアイドルを象徴天皇になぞらえるなら、48Gは、いってみれば「天皇公選制」を部分的に――とはいえ、グループの代名詞ともなるような大々的なイベントとして――導入したのである。

総選挙最強の指原莉乃さんを、どこかの週刊誌が揶揄するつもりで「天皇」と呼んでたけど、あれはある意味正しかったですね。指原さんはヲタクが選んだ天皇なのである。

さて、中森先生はこうも書いている。

「日本は世界のアイドルになるべきだ!
 ただ、かわいいだけの国になるべきだ!!
 もはや軍事力も、経済力も求めない。ただ、魅力だけがアイドルたる私たちの国の最後の武器となる。」

国際政治学で言うソフトパワー戦略というやつですね。軍事とかのハードパワーでなく、文化というソフトパワーを外交や安全保障の武器としていく、という(クールジャパンとか言ってるのもソフトパワー戦略のひとつです)。

中森氏のこのマニフェストを、総合プロデューサー秋元康が知らないはずはない。

そして今、現実に、48グループのフォーマットは、アジア各国に次々と輸出されている。

アイドル=象徴天皇制をアジア各国に輸出し、移植したのだ。

あまりにも、あまりにも剣呑である。

しかし、それは成功した。

それを可能にしたのは、「総選挙」という、天皇制とは本質的に相容れない民主的手続きを伴ったからだったのかもしれない。

平成のおわり、48Gは、アイドル=象徴天皇制民主化し、普遍化してのけた。

 

 

…とか書いてたら今年は総選挙やらないとかいう話になっていた。どうなっちゃうの?

 

 

アイドルにっぽん

アイドルにっぽん

 

 

ネットアイドルとしてのAKB48

主に経済的な理由で、しばらくのあいだ在宅になります。

おそらく数ヶ月に一度しか当たらないであろう劇場公演は応募を続けようと思いますが、それ以外の現場には行かず、ネットをつうじて48Gを見ることにします。

もちろん現場に行かないとわからないことは多いし、私も早めに現場復帰したいとは思う。

一方で、アイドルは現場に行く人のためだけのものだとも思わない。アイドルとはそんなに小さなものではないだろう。

秋元康総合プロデューサーは、かつて「ネットアイドル」としてのAKB48という考え方を語ったことがある。2007年に出た『48現象』(ワニブックス)でのインタビューで、である。

 

48現象

48現象

 

 

曰く。AKB48をはじめたとき、アイドル界全体のことは意識していなかったが、

「唯一ちょっと考えてたのが……。ネットアイドルって、いろんなところがやっては失敗していたんだけど。だいたい人気投票をやって1位のコがデビューできる、みたいな。それってぜんぜんインターネット的じゃないんだよね。一方向的で、テレビの発想とぜんぜん変わらない。受け手側の意見は量でしか還元されてない。そうじゃなくて、彼らは双方向で好き勝手にやり取りしていて、その状況の中から生まれるアイドルがいたとしたら、それがネットアイドルだと思ったんだよね」

ここで「彼ら」というのは、いち早く劇場に入り、ブログなどで情報発信した最初期のヲタクたちのことだ。

「定点の濃さをweb的な双方向性で盛り上げてっていう、そういうことができないかなって」

もともと、やすすは「今までテレビとともに歩んできたんで、今度は真逆のことをやってみよう」という発想で「秋葉原48プロジェクト」をはじめている。

小劇団の小屋のような「定点」と、ネットアイドル的な「双方向性」とを、「数字」(視聴率)が決定的な重要性を持つテレビとは「真逆」をめざす戦略として、やすすは意識していたのである。

2009年に出た『クイック・ジャパン vol.87』では、もっと直截な言い方もしている。

 

クイック・ジャパン87

クイック・ジャパン87

  • 作者: AKB48,前田敦子,大島優子,小野恵令奈,秋元康,笑福亭鶴瓶,カーネーション,森山未來,千原ジュニア,鈴木おさむ,長尾謙一郎,西島大介,川口春奈
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2009/12/11
  • メディア: 単行本
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 「実はAKB48ってネットアイドルだと思うんですよ。もちろん実体はあるし秋葉原の劇場に毎日いる、「会いに行ける」んだけれども、AKB48を劇場で観たことがない人達のほうが多い」(強調・引用者)

「例えば劇場で「今日」何かがおきたら、観ている人達が携帯で発信して、その情報がネット中を走り回る。ブログをやってるメンバーも多いし、AKB48とファンがネットを通じて繋がっているんですよね」

その後も48Gは、Google+や755、SHOWROOMといったネットのツールと積極的に組んできた。48Gの「ネットアイドル」路線は、今にいたるまで続いている。

ブログやTwitter、Instagramなども当然活用され、AKB48ができた2005年と現在を比べると、メンバーが自分で情報発信できるネット上の道具は増えた。

そして今、メンバーがネットを使って自ら発信したことをきっかけにして、ヲタクたちのリアクションも含め、48Gを実際には観たこともない人たちまで巻き込んで、グループのニュースは「ネット中を走り回」っている。言うまでもなく新潟の件である。

ある意味では、48Gはますますネットアイドル化しつつあるのかもしれない。

そしてその「ネットアイドル」という方向性は、AKB48が、あるいはやすすが、当初から目指したもののひとつでもあるのだ。

いい機会なので、というのは現場に行けない者の負け惜しみ半分ですが、しばらくはネットアイドルとしての48Gを追ってみたいと思います。

思い出してみると、AKBに興味を持ってから半年くらいは、ひたすら某チューブで動画(当時はいっぱいあった)を観ている在宅でした。今なら映像倉庫かなー。

あなたのアイドル論がちょっとだけ深くなるかもしれない5冊のおすすめ本

アイドルを偉そうに語るおっさん(俺です)の話というのは、いい年してアイドルにハマってしまった自分にとっての新鮮さを、現代アイドルの新しさ、特殊性と混同してしまっていることが多い(俺だ。俺だよ母さん)。

そういう語りにも体験談、信仰告白としての価値はあり、おもしろいのだが、アイドル論としてはやはり浅いというか、ありがちなところにとどまりがちである。

48Gが一番人気があったころは、評論家とか大学の先生とか、インテリがアイドルにハマる例も多かったが、こういう人たちが書いたり語ったりすることも、さすがインテリは使う言葉が高級だなと思うくらいで、基本的には同じようなものであった。

私も何か書くたびに、年季の入ったアイドルヲタクに「貴様がいる場所はわれわれが三千年前に通過した」と笑われているような気がしてならない。日々勉強です。

というわけで今回は、アイドルをより深くおもしろく語るために、このあたりを押さえておくといいんじゃないかと思われる基礎知識、視点を与えてくれる本を何冊か紹介したいと思います。

 

①笹山敬輔『幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記

 

幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記 (フィギュール彩)

幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記 (フィギュール彩)

 

 

②押田信子『兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争

 

兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争

兵士のアイドル 幻の慰問雑誌に見るもうひとつの戦争

 

この2冊を読むと、現代アイドルの新しさと思われている要素は、実は近代日本アイドルの伝統であることがわかる。

会いに行けるアイドルは、昔からいた。どのくらい昔かというと明治時代である。娘義太夫のヲタクたちはレスをもらい認知をもらうために現場に通った。当然、そのなかには厄介もいて、推しメンが乗った人力車を追いかけて自宅までついていったりもした(①)。

会いにいくアイドルも、昔からいた。

前の大戦中には、アイドルたちは兵士の慰問のために戦地に飛び、歌い踊ったのである(②)。

日本型アイドルの歴史をどこまで遡れるのかはわからない。しかし、少なくとも明治時代には我々のようなヲタクがおり、彼らに推されるアイドルが存在した。現代日本的アイドル文化の根っこの深さを学んでおきたい。

 

③永井咲季『宝塚歌劇 〈なつかしさ〉でつながる少女たち

 

宝塚歌劇 〈なつかしさ〉でつながる少女たち

宝塚歌劇 〈なつかしさ〉でつながる少女たち

 

 

あの宝塚歌劇も、大正時代の草創期には女学校の学芸会のようだと評された。

「兄ィさんが妹の芸術を見て楽しんでゐる風の態度で見」るものであり、「むかし膝であやした子が、もう学校の上級まで進んで」成長した姿を愛でるように楽しむものであった。宝塚の初期ファンは、おじさんとお兄さんたちであったのである。

このおじさんとお兄さんたちがなかなか厄介で、恋愛モノの演目をかけると純粋さが失われると言って文句をつけたり、メンバーがプロっぽいメイクをすると「女優臭い」と言って嫌がったりするので、機関紙『歌劇』の投稿欄では現代のSNSさながらの論争がつねに繰り広げられていた。

また、ヲタクのなかにはメンバーを「活動写真を観に誘ったり、鰻を御馳走したり娘と同じように可愛がるお友達」(厄介)もいるので、総合プロデューサーの小林一三みずから自制を訴えたことさえあったのである。

その宝塚歌劇が、時を経て女性ファンを中心に完成度の高いパフォーマンスで見せる集団に変化していったことは興味深い。そこには私設ファンクラブのリーダーが演者を送迎するような高度に成熟したファンコミュニティもある。アイドルの進化の先に何があるのか、を考えさせるのである。

ちなみに、著者の永井咲季先生は91年生まれ。前田敦子世代の研究者による一冊である。

 

④金成玟『K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

 

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

 

 

K-POPファンでもある社会学者によるK-POP概説書。

熱心に推すことと、冷静に論じることのバランスのとれた姿勢を学びたい。

別に評論家ごっこをするためではなく、ムラの外に伝わる言葉でアイドルの魅力を伝えること、すなわち、狭義の「推し事」のために、こういう姿勢って必要だと思うのです。

抑制した熱さが伝わる「あとがき」は、世間で後ろ指をさされがちな趣味を持つヲタクなら、「わかる」と膝を打ちまくること請け合い。これだけでも立ち読みしてみてください。

 

⑤鶴見俊輔『限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

 

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

限界芸術論 (ちくま学芸文庫)

 

 

現総監督は「生活に密着したアイドル」というコンセプトを唱えている。それと親和性の高いのが、鶴見俊輔の限界芸術論だ。

曰く、芸術には三種類ある。プロが作り、プロが鑑賞する純粋芸術。プロが作り、素人が享受する大衆芸術。そして、素人が作り、素人が享受する限界芸術である。

限界芸術というのは、生活と芸術とのキワにある芸術というくらいの意味である。おそらく、人類最初の芸術は限界芸術だった。生活の中で、洞窟の壁画や、神に捧げる詩、労働歌が生まれた。そこから芸術のプロや、それを批評するプロが分化していったと考えるのが自然である。

限界芸術のもっともわかりやすい例は祭りだ。祭りでは、村のなかで歌のうまい者が歌い、踊りのうまい者が踊る。しかし歌い手も踊り手もプロではない。それを見て村の衆は楽しみ、自らも歌や踊りに参加する。

日本式アイドルは、歌においてもダンスにおいても、プロとは言えないレベルにあることが多い。この点についてはいろいろな意味付けが行われているけれど、あれは「限界芸術」なのだと考えるとわかりやすい。彼女たちは、村の歌名人であり、わが村の踊りの名手なのである。アイドルとヲタクがつくる村、共同体の代表として歌い踊っているのだ。

アイドルビジネスの仕組みも、武道館なりドームなりといったより大きな祭りを目指して、村の衆みんなでリソースを積み上げていく過程と見ることもできる。普段は働いて富を蓄積し、非日常の祭りですべてを蕩尽する。アイドルとヲタクは、一緒に祭りを作り上げているのである。

私は、この構造のなかにヲタクが過激化する理由があると考えている。 

過激化というのは、暴れるとか違法行為に手を染めるとかいった意味では必ずしもない。そこに生きる意味を見出し、理想の実現を求める、という静かで本質的な過激化もある。マジということだ。

ヲタクはアイドルとともに作り上げる祭りに生きる意味を見出している。ヲタクは祭りの見物客ではない。祭りの当事者である。だから、アイドルヲタクは「うるさい」のも当然なのである。

アイドルとヲタクが、人類の愛のかたちをアップデートしていく。

性犯罪は立証がむずかしいといわれる。

密室で、多くは1対1で行われることだから、特に合意の有無が争点になりやすい。犯罪を立証するためには、検察官は合意がなかったことを証明しなくてはいけない。

被害者は拒否していたのに、恐怖で抵抗ができなかったために、「合意していた」とみなされることもあるのだという。なんとも痛ましい話である。

とはいえ、被害者を救い、性犯罪を防止するために、立証を簡単にすればいいというものではない。犯罪、特に性犯罪という重大な罪で、冤罪を生み出してしまうのもやはりいけない。

むずかしい問題なのだが、実はシンプルな解決策がある。

SEXは第三者の立会いのもとでおこなうべしという法律を作ればいいのである。

国中のいたるところに、公営のセックス場を設置する。「ブルーシャトー」とか「リバーサイド」とか「パコパコパレス」といった名前である。退官した判事など(セックス公証人)が所長をつとめている。

SEXをしたいカップルは、この公営セックス場に行く。職員(もちろん公務員です)による双方の個別面談が行われ、SEX実行の意思が確認される。どちらかが「実はしたくないんです」「脅されて連れてこられました」などと申告したら、直ちに警察へ通報され、官民の救援機関が動く。

双方の合意が確認されたらいよいよ個室に通されるのだが、あとはご自由に、ではない。

始めてから、どちらかが「やっぱりやめたい」と思ったのに、もう一方がやめなかったとすれば、それもやはりレイプである。

そこで、行為の一部始終はSEX立会人(もちろん公務員です。SEX立会大学校で特別な訓練を受けています)によって監視される。もしも合意がなくなったとみなされた場合にはただちに中止させることができる。

また、後日トラブルになった場合にそなえ、行為の一部始終は録画される。

人が見てる前で、しかもカメラが回ってるとこでできるかよ!という声があろうが、大丈夫です。

ポルノ映像作品の俳優さんたちは、カメラの前で、たくさんのスタッフがいる前で、気持ちの入ったSEXをする。大丈夫、じきに慣れる。むしろ見られていないと物足りなくらいにすぐなる。

 

そういう問題じゃねんだよ、愛を育むのはふたりだけの時間なんだよといった声もあると思うが、甘えるな。

衆人環視のもとでも愛を語り合い、愛を育むことはできる。

それをやっているのがアイドルとヲタクである。

握手会では、アイドルとヲタクのやりとりはすべてスタッフ監視のもとで行われる。だけでなく、たいていは列に並んだ他のヲタクにも筒抜けである。不適切な行動があればただちに中止させられる。また、こうした「接触」の場での「厄介」な行為は他のヲタクによって批判される。

接触に限らない。ヲタクはSNSで、スタッフの検閲が入るファンレターで、つねに衆人環視のもと愛を語る。

アイドルもまた、SNSで、マスメディアで、そしてステージで、衆人環視のもとで愛を語りかえす。

 

サルは群で暮らし、グルーミングも交尾も群のみんなが見ているところでやっている。人類はどこかで、愛の行為を物陰でやることを選んだ(進化心理学?とかで、このへんのことを書いたよい本があったら教えてください)。愛の密行化である。

ふたりきりの時間と空間。そこで育まれた愛は、人類を繁栄させた。わたしたちはみな、密行化した愛から生まれた。

カップルや家族といった愛の密室は、しかし、法も及ばない無政府状態である。人の善意のみに支えられた無法地帯である。

愛の空間は、暴力と支配の温床でもあったことは、性犯罪やDV、児童虐待といった忌まわしい現象が証明している。

アイドルとヲタクは、公開された愛を選んだ。

隠れてではなく、衆人環視のもとで愛を語ることを選んだ。

カップルや家族という密室に閉じこもるのではなく、社会と地続きの場で愛を育むことを選んだ。

これまでは無法地帯であった愛のガバナンスという、人類史上の新たな挑戦である。

アイドルとヲタクが、人類の愛のかたちをアップデートしていく。

わたしたちは、そんな使命を背負っているのだ。

 

 

 

大晦日なので更新します。

秋頃からメンタルの状態(脳調)が悪くなった。

こういうときに救いとなるのがアイドルだと思っていたのだが、実際に凹んでいるときはそれどころじゃないですね。

握手会に行くのも、DMMで劇場公演を観るのも、映像倉庫で短い動画を観るのも、Showroomを観るのも、はてはモバメを読むのさえ苦痛になってしまった。劇場公演に応募するのも億劫になってしまった。

現実が厳しいときにはアイドルなんて役に立たないんだな。と思いました。正直。

 

とにかくメンタルの状態(脳調)が良くないので、インターネットでメンタルの状態(脳調)がよくなるライフハックを検索した。

すると「慈悲の瞑想」というワークが効くらしいということがわかった。

(「慈悲の瞑想」については↓の記事に詳しく紹介されているけど、このあと簡単に説明するので読まなくても大丈夫です)

yuchrszk.blogspot.com

 

もともと「慈悲の瞑想」は原始仏教の修行法の一つで、こんなマントラを唱えながら瞑想をする。

「この人は、心と体を持っています。わたしと同じです。気持ちや感情、考えもあります。わたしと同じです。悲しんだり、がっかりしたり、怒ったり、混乱したりすることがあります。わたしと同じです。人生で肉体的、心理的な苦しみを経験しています。わたしと同じです……」

ようするに、自分以外の誰かへの思いやりを想起し、その思いやりを自分にも向けていく。臨床心理学の世界で最近流行っている「セルフ・コンパッション」(自分への思いやり)というやつだ。

さっそく俺もやってみようと思ったのだが、上記のマントラがどうも気恥ずかしいし、しっくりこない。

調べたら自分なりにアレンジしたマントラを唱えてもいいらしい。

そこで、私は3秒かけて息を鼻から吸い、ゆっくりと口から吐き出しながら、声を出さずに唱えてみた。

「いつも感謝。冷静に、丁寧に、正確に。みんなの夢が叶いますように。」

「みんなの夢が叶いますように」のところで、嫌いな☓☓☓の顔が思い浮かんだ。嫌いだけど、この☓☓☓にも夢がある。知らんけど、きっと素敵な夢なんだろう。

夢を見るときのこいつは、たぶん嫌なやつではない気がする。

自然にそう思えて、嫌いな☓☓☓のことが少し好きになり、心が少し温くなった。

私はもう一度、鼻から息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら唱える。

「いつも感謝。冷静に、丁寧に、正確に。みんなの夢が叶いますように。」

唱えるたびに、嫌いな人や苦手な人、特になんとも思っていない人の顔が思い浮かび、その人の夢の匂いを私は嗅いだ。そのたびに心が穏やかになっていくのがわかった。

何度目に唱えたときだろう、私は気づいた。

「みんな」というからには、その中に私も含まれていてよい。

私は私を許せない。私は私が嫌いである。私は私を受け入れられない。

自分を許して受け入れるのは案外難しい。だから人は心を病む。

しかし、「みんな」を受け入れていった先の、「みんな」のひとりである自分なら、少し違った目で見ることができるような気がする。

どうにも自分に慈悲を向けられない人が、他人に慈悲を向けていった勢いで自分にもやさしくなれる。「慈悲の瞑想」とは、そういう手法なのだと私は理解した。

同時に、「みんなの夢が叶いますように」という言葉が、実は自分を許し受け入れるための言葉でもあったことに、私は気づいたのだった。

チームAバージョンの円陣マントラに、このひと言を加えてチームBバージョンをつくった浦野一美は偉大である。

こういうときアイドルは役に立たないと一瞬思ったけど、やっぱり役に立ちました。48神学者として一歩前進した。

 

まあぼくの信仰体験談はこれくらいにするとしまして。

推しにはやさしいのに、そして推し以外のアイドルも惜しみなく応援するのに、自分にはやさしくないヲタクが、私の周りにはいっぱいいる。

アイドルちゃんへのやさしさの余波みたいなものでいいから、自分にも及ぼせるようになりたいものですね。これからは。

推しメンの1万分の1くらいでいいから、自分のことも好きになれるといいですね。

そりゃ、自己啓発セミナーじゃあるまいし、いきなり自分を好きになったりはできない。が、「みんなの夢が叶いますように」と願うとき、「みんな」の末席に自分を加えるくらいはしてもいいんじゃないでしょうかね。

そのほうが、あなたの推しメンも喜んでくれると思います。

というわけで、みなさま、よいお年を。

みんなの夢が叶いますように。

 

追記 セルフ・コンパッションについては興味深いツイートがあった。

ダメなところもあるけど推しは好き。なんなら嫌いになることもあるけど、それでも推しは推し。という懐の深いやさしさを、アイドルに対しては向けられるのがヲタクである。それを自分に対しても応用できたらいいねという話である。セルフ・コンパッションについては読みやすい入門書やネット記事がいっぱい出てるので、メンタルが調子悪い人は検索してみたらいいかもしれない。

 

 

 

 

 

ロック画面はせいちゃんのしおりです。

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これ。作った。

 

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生写真にハサミやカッターの刃を入れるのは瀆神的であり、ほかのアクティビティでは得られない独特の興奮がある。

 

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あなたを支えてくれる人を信じなさい

いろいろなことがあった一週間でしたが、なかでも印象深かったのは、JpopRocksの野澤玲奈インタビューだった。

 

JPR:

 What is the most important trait to have to be an AKB member?

AKB48のメンバーになるのに一番重要な特性は何ですか?

 

 Rena:

Actually, you don’t really need anything because the fans really help you. And that’s the strongest point, but I think an important trait to have is to keep believing in who’s supporting you. Like, keeping the connection; remembering that if they’re not there, you won’t be here. Is it a trait? It’s a way of thinking I guess. I think that’s probably the only thing you need, because you can be anything here. You can do anything.

実はなにもいらないんですよ、ファンの皆さんが助けてくれるから。一番大切なのは、サポートしてくれるファンを信じること。ファンがいなければ私達は存在しないことを忘れない。それが特性になるのかな。    

  JpopRocks Interviews Rena Nozawa - AKB48

 

この回答には意表をつかれた。みなさんがいるからアイドルでいられる、というのは、アイドルからヲタクへのよくあるリップサービスだけれど、アイドルの資質論の文脈で言われるとびっくりする。しかもnot anyだ。中学の英語の授業で習った記憶がある。ヲタクが助けてくれるから、本当になんにもいらないと断言している。びっくりして少し涙が出てしまった。

アイドル本人に言われると、「アイドルを生み出しているのはヲタクなのかもしれない」と真剣に思ってしまう。

一方、ヲタクになるのに一番重要な特性はなんだろう? 

潤沢な資金や時間、コミュニケーション能力などは、あれば楽しみの幅を広げてはくれるだろう。でも、きっとヲタクになるのに必要とまでは言えない。だって、そんなのなくてもヲタクを満喫しているヲタクはたくさんいる。

じゃあなんだろう、アイドルに対する愛? 

それも、ちょっと違うかな。愛なんて偽善的なことは言わない、自分がおもしろいからヲタクやってるだけだ、というヲタクはいっぱいいるもの。

なるほど、それでわかった。ヲタクになるのに一番大事なものは真心だ。推しへの愛に生きるヲタク、偽善を嫌いエゴイズムを隠さないヲタク、両者に共通する美徳はウソのない真心である。

ヲタクになるのに一番重要な特性は何ですか。

それは、真心です。

……と、結論づけてもいいのだが、問題は、人はあまり自分の真心に自信を持ったりはしないということだ。だからヲタクは病むのだろう。自分に真心はあるだろうか。メンバーにウソをついていないだろうか。自分にウソをついていないだろうか。メンバーのためといいながら自分のことを考えていないだろうか。君が好きといいつつ、自分の理想像をメンバーに押し付けているだけではないだろうか。本当はもう疲れているのに、惰性で接触に通っていないだろうか。……だろうか……だろうか……だろうか……病む病む。

本当は、ヲタクになるためには何もいらないのだ。アイドルが助けてくれるから。

真心は大事なものだ。しかし、真心はあなたの胸や、脳にあるのではない。ヲタクがアイドルに真心を贈るのではない。推しと出会ったとき、あなたの心にどこからか訪れるのが真心である。アイドルがあなたを真心にしてくれるのだ。

一番大切なのは、"to keep believing in who’s supporting you. "

あなたの推しを信じること。アイドルがいなければ私達は存在しないことを忘れない。

アイドルはヲタクを信じ、ヲタクはアイドルを信じる。交差する信頼の真ん中あたりに私の信仰は存在する。しかしアイドルもヲタクも、信じ切るにはあまりに頼りない人間なのだ。険しい道である。

 

(引用した以外の部分も、ノザのインタビューは異文化の人に対して「48Gとはなにか」を説明するための模範文例集、のおもむきがありおすすめです)